日本では闘争の際の実践的な経験が、武器の有無にかかわらず、多くの代表的な武道となり普及していきました。日本国外で空手が世界中に広まったことで、琉球から伝わったこの術は、単純にスポーツと見なされるようになりました。日本から専門の指導者たちが西洋に来たことで、空手を学ぶ多くの者が、彼らを手本として修練を積みましたが、学んだことは必ずしも本物とは言えませんでした。というのは、多くの指導者たちの関心は、空手の起源に遡って空手がどのように発展してきたかを探究したり、知識を得たりすることではなく、多くの門下生を集めることにあったからです。


平塚に行き、金城裕先生のご自宅でお会いするという幸運に恵まれたことは、本物の空手を知り未知の次元に足を踏み入れる経験となりました。


金城裕氏は、日本で最も尊敬されている空手の達人のお一人でした。空手を知る偉大な専門家でもあり、空手を沖縄から日本本土へと普及させた第一人者と見なされています。二世代目に当たる空手の巨匠達と修業を積んでおられ、その中には糸洲安恒の直弟子もいれば、若い頃に「武士」松村宗棍に学んだ者もいました。偉大な空手家達を際立たせる点は非常にシンプルで、真の空手とその技術的な歴史を知りたいという強い思いと研究心にほかなりません。それは、金城裕氏が一生を通じて常に持ち続けたものでした。


金城氏は、訪ねてくる空手を学ぶ者たちの話に耳を傾け、気軽に助言を与えて下さいました。沖縄の空手の歴史に輝かしい足跡を残す著名な空手家達、本部朝基、摩文仁賢和、冨名越義珍、宮城長順たちと面識がありました。


イタリアの言葉にあるように、「人生で大切なのは、その歩みや履いた靴ではなく、残す足跡である」とすれば、金城裕氏の生涯は、原点に基づく本当の空手を世に知らしめ、広めることに捧げた深い愛情という足跡としてずっと残っています。氏の次の言葉は、空手という術を学ぶ全ての者に向けた深遠な教えです。「師でいることの秘訣は、学ぶ者であり続けることである。」これこそ、私にとっての金城裕大師範でした。心からの敬意を込めて感謝致します。


イタリアから訪れた空手家 イタリア空手同盟訓練会会長 イタリア上級騎士 フルビオ ロレンツェティ


(三女真弓による参考意訳)